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     Vipassanāñāṇaṃ  
      語根 品詞 語基 意味  
      Vipassanā vi-paś ā 依(属) 観、観法、内観  
      ñāṇaṃ jñā a 智、智慧  
    訳文                
     【観智】  
                       
                       
                       
    234-1.                
     234. ‘‘So [puna caparaṃ mahārāja bhikkhu so (ka.)] evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte ñāṇadassanāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.   
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘‘So    代的 それ、彼  
      evaṃ    不変 このように、かくの如き  
      samāhite  saṃ-ā-dhā 名過分 a 男→中 処絶 入定した、定置した  
      citte  cit a 処絶  
      parisuddhe  pari-śudh 過分 a 処絶 清浄の  
      pariyodāte  pari-ava-dā 過分 a 処絶 浄化した、清白の、すぐれた  
      anaṅgaṇe    a 処絶 無穢の  
      vigata vi-gam 過分 a 有(持) 去った  
      upakkilese  upa-kliś? a 男→中 処絶 小さい煩悩、随煩悩、随染  
      mudu   u 柔らかい  
      bhūte  bhū 過分 a 処絶 存在した、有類 →柔軟な  
      kammaniye  kṛ a 処絶 適業の、事業に堪える、堪任なる  
      ṭhite  sthā 過分 a 処絶 住立した、立った  
      āneñja   a 依(対) 不動  
      patte  pra-āp 過分 a 処絶 得た、得達した  
      ñāṇa jñā a 智、智慧  
      dassanāya  dṛś a 見、見ること  
      cittaṃ  cit a  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      abhinīharati  abhi-nir-hṛ 心を向ける、適用する、引発する  
      abhininnāmeti.  abhi-ni-nam 使 向ける、転じさせる  
    訳文                
     彼は、そのように心が入定し、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去り、柔軟な、行為に適した、住立した、不動を得たものとなったとき、智見に心を向け、転じさせます。  
    メモ                
     ñāṇadassanāyaを『南伝』、『パーリ』は「智見」とし、『原始』は「理解洞察」として、複合語の解釈を行わない。『註』にも複合を明記する記述は見当たらない。  
     ・ただ、諸経(たとえば『相応部』56-11「転法輪経」など)に対する『註』の解釈に、しばしばñāṇasaṅkhātaṃ dassanaṃという表現が出ることから、本訳全体において、いちおう持業釈をとったうえで「智見」とすることとした。それは本経に対するñāṇadassananti maggañāṇampi……vipassanāñāṇampi. という、ñāṇadassanaの意味をただñāṇaとする説明とも合致しよう。  
     ・ただしこれは、ニカーヤ全体に敷衍できるものであるか、本当は判らない。本経も含め、相違釈(智と見)、具格依主釈(智による見)、属格依主釈(智に関する見)などと解した方がよい可能性は常に存在する。  
                       
                       
                       
    234-2.                
     So evaṃ pajānāti –   
      語根 品詞 語基 意味  
      So    代的 それ、彼  
      evaṃ    不変 このように、かくの如き  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      pajānāti –  pra-jñā 知る、了知する  
    訳文                
     彼はこのように知ります。  
                       
                       
                       
    234-3.                
     ‘ayaṃ kho me kāyo rūpī cātumahābhūtiko mātāpettikasambhavo odanakummāsūpacayo aniccucchādana-parimaddana-bhedana-viddhaṃsana-dhammo;   
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘ayaṃ    代的 これ  
      kho    不変 じつに、たしかに  
      me    代的  
      kāyo    a  
      rūpī    in 有色の  
      cātu    
      mahā   ant 有(持) 大きい、偉大な  
      bhūtiko  bhū a 要素の、大種の →四大種所成  
      mātā   ar  
      pettika   a 有(具) 父の  
      sambhavo  saṃ-bhū a 発生、生成、存在、共存 →母父所成  
      odana   a 男中 飯、粥  
      kummāsa   a 依(属) 粥、酸粥  
      upacayo  upa-ci a 集積、積集  
      anicca   a 無常  
      ucchādana- ud-chid a 破壊、削減  
      parimaddana- pari-mṛd a 摩滅、粉砕、按摩  
      bhedana- bhid a 断絶、分裂、破壊  
      viddhaṃsana- vi-dhvaṃs a 有(属) 破砕、破壊、分散  
      dhammo;  dhṛ a 男中  
    訳文                
     『じつにこの私の身は、有色であり、四大種所成であり、母父所成であり、飯と粥の積集であり、無常・破壊・摩滅・分断・破砕の性質あるものである。  
                       
                       
                       
    234-4.                
     idañca pana me viññāṇaṃ ettha sitaṃ ettha paṭibaddha’nti.  
      語根 品詞 語基 意味  
      idañ   代的 これ  
      ca    不変 と、また、そして、しかし  
      pana    不変 また、しかし、しからば、しかも、しかるに、さて  
      me    代的  
      viññāṇaṃ  vi-jñā a  
      ettha    不変 ここに  
      sitaṃ  śri 過分 a 依止した、依存した  
      ettha    不変 ここに  
      paṭibaddha’n prati-bandh 過分 a 結ばれた、執着した  
      ti.   不変 と、といって、かく、このように、ゆえに  
    訳文                
     そしてまた、この私の識は、そこに依止し、そこに結びつけられている』と。  
                       
                       
                       
    235-1.                
     235. ‘‘Seyyathāpi, mahārāja, maṇi veḷuriyo subho jātimā aṭṭhaṃso suparikammakato accho vippasanno anāvilo sabbākārasampanno.   
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘‘Seyyathā   不変 たとえば、その如き  
      pi,    不変 〜もまた、けれども、たとえ  
      mahā   ant 大きい、偉大な  
      rāja,    an  
      maṇi    i 宝珠  
      veḷuriyo    a 中(男) 瑠璃  
      subho  śudh 名形 a 中→男 清い、美しい  
      jātimā    ant よい生まれの、純粋な、高貴な、すぐれた  
      aṭṭha   有(帯)  
      aṃso    a 部分、方、隅  
      suparikammakato  su-pari-kṛ a よく準備された  
      accho    a 澄んだ、輝いた  
      vippasanno  vi-pra-sad 過分 a 明浄、清浄な  
      anāvilo    a 濁りのない  
      sabba   名形 代的 すべての  
      ākāra   a 依(具) 相、相貌、行相  
      sampanno.  saṃ-pad 過分 a 具足した、成就した  
    訳文                
     大王よ、またたとえば、美しい、純粋な、八面体の、見事な作りの、澄んだ、明浄な、濁りのない、すべての〔良き〕相をそなえた瑠璃宝珠がある〔としましょう〕。  
    メモ                
     veḷuriyaは中性だが、中性名詞にまれにある男性化をおこしたものと取った。  
     ・八面体の角は六つなので、この訳で良いかどうか。  
                       
                       
                       
    235-2.                
     Tatrāssa suttaṃ āvutaṃ nīlaṃ vā pītaṃ vā lohitaṃ vā [pītakaṃ vā lohitakaṃ vā (ka.)] odātaṃ vā paṇḍusuttaṃ vā.   
      語根 品詞 語基 意味  
      Tatra   不変 そこで、そこに、そのとき、そのなかで  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      assa as ある  
      語根 品詞 語基 意味  
      suttaṃ  sīv a 経、糸  
      āvutaṃ  ā-vṛ/ā-vā 過分 a 結びつけられた  
      nīlaṃ    a  
          不変 あるいは  
      pītaṃ    a  
          不変 あるいは  
      lohitaṃ    名形 a 赤、血  
          不変 あるいは  
      odātaṃ    a  
          不変 あるいは  
      paṇḍu   u 黄白  
      suttaṃ  sīv a 経、糸  
      vā.    不変 あるいは  
    訳文                
     そこに、青、黄、赤、白の糸、あるいは黄白の糸が結びつけられているとします。  
    メモ                
     āvutaṃ の語根は、「覆われる、妨げられる」ā-vṛの語形に、「織る」ā-vāの意味が混淆せられたものとPTS辞書は見る。  
                       
                       
                       
    235-3.                
     Tamenaṃ cakkhumā puriso hatthe karitvā paccavekkheyya –   
      語根 品詞 語基 意味  
      Tam   代的 副対 それ、彼、彼女、そのとき(副対)  
      enaṃ    代的 それ、彼  
      cakkhumā    ant 眼ある  
      puriso    a 人間、男  
      hatthe  hṛ a  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      karitvā  kṛ なす、作る  
      paccavekkheyya –  prati-ava-īkṣ 観察する、省察する  
    訳文                
     そのとき、それを眼ある男が手にとって観察したとしましょう。  
                       
                       
                       
    235-4.                
     ‘ayaṃ kho maṇi veḷuriyo subho jātimā aṭṭhaṃso suparikammakato accho vippasanno anāvilo sabbākārasampanno;   
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘ayaṃ   代的 これ  
      kho   不変 じつに、たしかに  
      maṇi veḷuriyo subho jātimā aṭṭhaṃso suparikammakato accho vippasanno anāvilo sabbākārasampanno; (235-1.)  
    訳文                
     『じつにこれは、美しい、純粋な、八面体の、見事な作りの、澄んだ、明浄な、濁りのない、すべての〔良き〕相をそなえた瑠璃宝珠である。  
                       
                       
                       
    235-5.                
     tatridaṃ suttaṃ āvutaṃ nīlaṃ vā pītaṃ vā lohitaṃ vā odātaṃ vā paṇḍusuttaṃ vā’ti.   
      語根 品詞 語基 意味  
      tatra   不変 そこで、そこに、そのとき、そのなかで  
      idaṃ   代的 これ  
      suttaṃ āvutaṃ nīlaṃ vā pītaṃ vā lohitaṃ vā odātaṃ vā paṇḍusuttaṃ vā’ (235-2.)  
      ti.    不変 と、といって、かく、このように、ゆえに  
    訳文                
     そこに、この青、黄、赤、白の糸、あるいは黄白の糸が結びつけられている』と。  
    メモ                
     ・たとえ話だからといえばそれまでだが、現に手にとって実物を見ている人が「あるいは」というのも変ではある。  
                       
                       
                       
    235-6.                
     Evameva kho, mahārāja, bhikkhu evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte ñāṇadassanāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.   
      語根 品詞 語基 意味  
      Evam   不変 このように、かくの如き  
      eva    不変 まさに、のみ、じつに  
      kho,    不変 じつに、たしかに  
      mahā   ant 大きい、偉大な  
      rāja,    an  
      bhikkhu  bhikṣ u 比丘、(特に男性の)出家者  
      evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte ñāṇadassanāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti. (234-1.)  
    訳文                
     じつにこのように大王よ、比丘は、そのように心が入定し、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去り、柔軟な、行為に適した、住立した、不動を得たものとなったとき、智見に心を向け、転じさせます。  
                       
                       
                       
    235-7.                
     So evaṃ pajānāti –   
      語根 品詞 語基 意味  
      So evaṃ pajānāti – (234-2.)  
    訳文                
     彼はこのように知ります。  
                       
                       
                       
    235-8.                
     ‘ayaṃ kho me kāyo rūpī cātumahābhūtiko mātāpettikasambhavo odanakummāsūpacayo aniccucchādanaparimaddanabhedanaviddhaṃsanadhammo;   
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘ayaṃ kho me kāyo rūpī cātumahābhūtiko mātāpettikasambhavo odanakummāsūpacayo aniccucchādanaparimaddanabhedanaviddhaṃsanadhammo; (234-3.)  
    訳文                
     『じつにこの私の身は、有色であり、四大種所成であり、母父所成であり、飯と粥の積集であり、無常なる破壊・摩滅・分断・破砕の性質あるものである。  
                       
                       
                       
    235-9.                
     idañca pana me viññāṇaṃ ettha sitaṃ ettha paṭibaddha’nti.   
      語根 品詞 語基 意味  
      idañca pana me viññāṇaṃ ettha sitaṃ ettha paṭibaddha’nti. (234-4.)  
    訳文                
     そしてまた、この私の識は、そこに依止し、そこに結びつけられている』と。  
                       
                       
                       
    235-10.                
     Idampi kho, mahārāja, sandiṭṭhikaṃ sāmaññaphalaṃ purimehi sandiṭṭhikehi sāmaññaphalehi abhikkantatarañca paṇītatarañca.  
      語根 品詞 語基 意味  
      Idam   代的 これ  
      pi    不変 〜もまた、けれども、たとえ  
      kho,    不変 じつに、たしかに  
      mahā   ant 大きい、偉大な  
      rāja,    an  
      sandiṭṭhikaṃ  saṃ-dṛś a 現世の、現に見られた、現証の、自見の  
      sāmañña śram a 依(属) 沙門性、沙門位、沙門法  
      phalaṃ  phal a 果、果実  
      purimehi    a 最初の、前の、古い  
      sandiṭṭhikehi  saṃ-dṛś a 現世の、現に見られた、現証の、自見の  
      sāmañña śram a 依(属) 沙門性、沙門位、沙門法  
      phalehi  phal a 果、果実  
      abhikkantatarañ abhi-kram a より勝れた、超えた、すばらしい  
      ca    不変 と、また、そして、しかし  
      paṇītatarañ pra-nī a より適用された、勝れた、妙勝の、極妙の  
      ca.   不変 と、また、そして、しかし  
    訳文                
    じつに大王よ、またこれが、さきの目に見える沙門の果報よりさらに素晴らしい、さらにすぐれた、目に見える沙門の果報なのです。  
                       
                       
                       
     Manomayiddhiñāṇaṃ  
      語根 品詞 語基 意味  
      Mano man as 依(具)  
      maya   a 依(属) 所成、所生、製、作  
      iddhi   i 依(属) 神通、神変  
      ñāṇaṃ jñā a 智、智慧  
    訳文                
     【意所成神変智】  
                       
                       
                       
    236-1.                
     236. ‘‘So evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte manomayaṃ kāyaṃ abhinimmānāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.   
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘‘So evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte (234-1.)  
      mano man as 依(属)  
      mayaṃ   a 所成の、所生、製、作  
      kāyaṃ   a  
      abhinimmānāya abhi-nir-ma/mi a 化作  
      cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.  (234-1.)  
    訳文                
     彼は、そのように心が入定し、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去り、柔軟な、行為に適した、住立した、不動を得たものとなったとき、意所成の身へ、〔その〕化作のため心を向け、転じさせます。  
                       
                       
                       
    236-2.                
     So imamhā kāyā aññaṃ kāyaṃ abhinimmināti rūpiṃ manomayaṃ sabbaṅgapaccaṅgiṃ ahīnindriyaṃ.  
      語根 品詞 語基 意味  
      So    代的 それ、彼  
      imamhā    代的 これ  
      kāyā    a  
      aññaṃ    代的  
      kāyaṃ    a  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      abhinimmināti  abhi-nir-ma/mi 化作する  
      語根 品詞 語基 意味  
      rūpiṃ    in 有色の  
      mano man as 依(属)  
      mayaṃ    a 〜所成の  
      sabba   名形 代的 全ての  
      aṅga   a 有(相)  
      paccaṅgiṃ    in 小さい肢 →大小の肢、肢節  
      ahīna a-hā 過分 a 有(持) 捨てられない、劣らない、欠けない  
      indriyaṃ.   a 中→男 根、感官、感覚能力、感覚器官  
    訳文                
     彼は、その身から、有色の、意所成の、完全な支節を具え、感官を欠かない別の身を化作します。  
    メモ                
     ・「梵網経」【断滅論】の章とパラレル。そこでは「意所成の我」なるものが欲界の我と四非色定の我の間に説かれているので、それは色界の我ということになるが、ここでも色界四禅の結果として「意所成の身」が出てくるわけで、平仄が合ってはいる。【一部常住論】の章でも、光音天(色界の一)の有情が「意よりなるものたち」とされており、検討を要する。  
     ・(追記)『増支部』11-13「ナンディヤ経」などには「およそ段食を食するような神々の眷属を超え、とある意所成の身へ生まれ変わった神々」yā devatā atikkammeva kabaḷīkārāhārabhakkhānaṃ devatānaṃ sahabyataṃ aññataraṃ manomayaṃ kāyaṃ upapannā という表現が登場する。つまりは物質的な食を摂って存続する欲界の神々と対置して、その必要が無い色界の存在にmanomaya という定型表現が用いられるのであろう。世親『浄土論』の「禅三昧為食」という表現や、乾達婆を「香食」とする理解もこれと無関係ではあるまい。なお『中部』60「無戯論経」には「無色にして想所成なる神々」devā arūpino saññāmayā が登場する。無色界の有情ともなると、もはや意識的な禅定でなく、受動的な知覚のみで個体が維持されるというイメージか。  
                       
                       
                       
    237-1.                
     237. ‘‘Seyyathāpi, mahārāja, puriso muñjamhā īsikaṃ pavāheyya [pabbāheyya (syā. ka.)].   
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘‘Seyyathā   不変 たとえば、その如き  
      pi,    不変 〜もまた、けれども、たとえ  
      mahā   ant 大きい、偉大な  
      rāja,    an  
      puriso    a 人間、男  
      muñjamhā    a ムンジャ草、茅  
      īsikaṃ    ā 葦、矢  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      pavāheyya.  pra-vah 運び去る、除去する、掃除する、引き出す  
    訳文                
     大王よ、たとえばまた、〔とある〕男が、茅〔の莢〕から矢〔になる茎〕を取り出したとしましょう。  
    メモ                
     ・次文以降では剣と鞘とか蛇と皮など、筒状のものから中身を引き抜く喩えが続けられるので、ここでもそのようにとって訳した。茅や葦から矢を作ることは実際あったようである。本邦でも葦矢は神事に用いられる。  
                       
                       
                       
    237-2.                
     Tassa evamassa – ‘ayaṃ muñjo, ayaṃ īsikā, añño muñjo, aññā īsikā, muñjamhā tveva īsikā pavāḷhā’ti [pabbāḷhāti (syā. ka.)].   
      語根 品詞 語基 意味  
      Tassa    代的 これ  
      evam   不変 このように、かくの如き  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      assa –  as ある  
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘ayaṃ    代的 これ  
      muñjo,    a ムンジャ草、茅  
      ayaṃ    代的 これ  
      īsikā,    ā 葦、矢  
      añño    代的  
      muñjo,    a ムンジャ草、茅  
      aññā    代的  
      īsikā,    ā 葦、矢  
      muñjamhā    a ムンジャ草、茅  
      tveva    不変 しかしながら(tu eva  
      īsikā    ā 葦、矢  
      pavāḷhā’ pra-bṛh/pra-vah 過分 a 運びあった、取り出された  
      ti.    不変 と、といって、かく、このように、ゆえに  
    訳文                
     かれにはこのような〔思いが〕起こるでしょう。『これは茅である、これは矢である。茅と矢はそれぞれ別のものである。しかしながら、矢は茅から取り出されたものだ』と。  
    メモ                
     pavāḷhāは語形はpra-bṛhの過去分詞だが、意味はpra-vahのそれである(水野辞書)。  
                       
                       
                       
    237-3.                
     Seyyathā vā pana, mahārāja, puriso asiṃ kosiyā pavāheyya.   
      語根 品詞 語基 意味  
      Seyyathā    不変 たとえば、その如き  
          不変 あるいは  
      pana,    不変 また、しかし、しからば、しかも、しかるに、さて  
      mahā   ant 大きい、偉大な  
      rāja,    an  
      puriso    a 人間、男  
      asiṃ    i 剣、刀  
      kosiyā    ī  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      pavāheyya.  pra-vah 運び去る、除去する、掃除する、引き出す  
    訳文                
     あるいは大王よ、たとえばまた、〔とある〕男が、鞘から剣を取り出したとしましょう。  
                       
                       
                       
    237-4.                
     Tassa evamassa – ‘ayaṃ asi, ayaṃ kosi, añño asi, aññā kosi, kosiyā tveva asi pavāḷho’’ti.   
      語根 品詞 語基 意味  
      Tassa    代的 これ  
      evam   不変 このように、かくの如き  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      assa –  as ある  
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘ayaṃ    代的 これ  
      asi,    i 剣、刀  
      ayaṃ    代的 これ  
      kosi,    ī  
      añño    代的  
      asi,    i 剣、刀  
      aññā    代的  
      kosi,    ī  
      kosiyā   ī  
      tveva    不変 しかしながら(tu eva  
      asi,    i 剣、刀  
      pavāḷho’ pra-bṛh/pra-vah 過分 a 運びあった、取り出された  
      ti.    不変 と、といって、かく、このように、ゆえに  
    訳文                
     かれにはこのような〔思いが〕起こるでしょう。『これは剣である、これは鞘である。剣と鞘はそれぞれ別のものである。しかしながら、剣は鞘から取り出されたものだ』と。  
    メモ                
     ī語基女性名詞であるkosīは、単数主格でもkosīという形になるはずだが、ここではkosiになっている。ここでは文脈から、kosiというi語基の異体があるということにして訳した。  
                       
                       
                       
    237-5.                
     Seyyathā vā pana, mahārāja, puriso ahiṃ karaṇḍā uddhareyya.   
      語根 品詞 語基 意味  
      Seyyathā vā pana, mahārāja, puriso (237-3.)  
      ahiṃ   i  
      karaṇḍā    a 男中 蛇皮、ぬけがら  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      uddhareyya. ud-dhṛ 上げる、取り除く、引き抜く  
    訳文                
     あるいは大王よ、たとえばまた、〔とある〕男が、皮から蛇を引き抜いたとしましょう。  
                       
                       
                       
    237-6.                
     Tassa evamassa – ‘ayaṃ ahi, ayaṃ karaṇḍo.   
      語根 品詞 語基 意味  
      Tassa    代的 これ  
      evam   不変 このように、かくの如き  
      述語 語根 品詞 活用 人称 意味  
      assa –  as ある  
      語根 品詞 語基 意味  
      ‘ayaṃ    代的 これ  
      ahi,    i  
      ayaṃ    代的 これ  
      karaṇḍo.    a ぬけがら  
    訳文                
     かれにはこのような〔思いが〕起こるでしょう。『これは蛇である、これは皮である。  
                       
                       
                       
    237-7.                
     Añño ahi, añño karaṇḍo, karaṇḍā tveva ahi ubbhato’ti [uddharito (syā. kaṃ.)].   
      語根 品詞 語基 意味  
      Añño    代的  
      ahi,    i  
      añño    代的  
      karaṇḍo,    a  
      karaṇḍā    a  
      tveva    不変 しかしながら(tu eva  
      ahi    i  
      ubbhato’ ud-dhṛ 過分 a 上げられた、取り除かれた、引き抜かれた  
      ti    不変 と、といって、かく、このように、ゆえに  
    訳文                
     蛇と皮はそれぞれ別のものである。しかしながら、蛇は皮から引き抜かれたものだ』と。  
                       
                       
                       
    237-8.                
     Evameva kho, mahārāja, bhikkhu evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte manomayaṃ kāyaṃ abhinimmānāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.   
      語根 品詞 語基 意味  
      Evameva kho, mahārāja, bhikkhu (235-6.)  
      evaṃ samāhite citte parisuddhe pariyodāte anaṅgaṇe vigatūpakkilese mudubhūte kammaniye ṭhite āneñjappatte manomayaṃ kāyaṃ abhinimmānāya cittaṃ abhinīharati abhininnāmeti.  (236-1.)  
    訳文                
     じつにこのように大王よ、比丘は、そのように心が入定し、清浄の、清白の、無穢の、随煩悩を去り、柔軟な、行為に適した、住立した、不動を得たものとなったとき、意所成の身へ、〔その〕化作のため心を向け、転じさせます。  
                       
                       
                       
    237-9.                
     So imamhā kāyā aññaṃ kāyaṃ abhinimmināti rūpiṃ manomayaṃ sabbaṅgapaccaṅgiṃ ahīnindriyaṃ.  
      語根 品詞 語基 意味  
      So imamhā kāyā aññaṃ kāyaṃ abhinimmināti rūpiṃ manomayaṃ sabbaṅgapaccaṅgiṃ ahīnindriyaṃ. (236-2.)  
    訳文                
     彼は、その身から、有色の、意所成の、完全な支節を具え、感官を欠かない別の身を化作します。  
                       
                       
                       
    237-10.                
     Idampi kho, mahārāja, sandiṭṭhikaṃ sāmaññaphalaṃ purimehi sandiṭṭhikehi sāmaññaphalehi abhikkantatarañca paṇītatarañca.  
      語根 品詞 語基 意味  
      Idampi kho, mahārāja, sandiṭṭhikaṃ sāmaññaphalaṃ purimehi sandiṭṭhikehi sāmaññaphalehi abhikkantatarañca paṇītatarañca. (235-10.)  
    訳文                
    じつに大王よ、またこれが、さきの目に見える沙門の果報よりさらに素晴らしい、さらにすぐれた、目に見える沙門の果報なのです。  
                       
                       
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